その一皿の「理(ことわり)」と「想い」
半年以上前にウーフ先でお世話になったステイ先のマダムに言われた
「ジャパニーズシェフ、あなたのスペシャリテは何?」
その問いに僕は何も答える事は出来ずに
魚料理なら基本的に〜
とか
その時は無神経で曖昧な返事しかできなかった
(今も全然話せないが、英語も駄目駄目だった)
でも、その後ずっと、スペシャリテって何だ?と
心に引っかかっていた
そのくらい彼女は
なんというか、、
自分の心まで見透せているようだった。
「貴方に課題を与えているのよ」
別にそんな事言われてないんだけど
僕にはそういう風に思えて、、
例えるなら小骨が喉に引っかかるように気になっていた
彼女宅でのパーティにて
つい先日、そんな彼女にまた料理を振る舞う機会があった。
振る舞った料理は
この人だからこの料理を作ったという「理(ことわり)」と
その人に対する強い「想い」
すなわち、自分にとって「理想」という形
「料理とは「理(ことわり)」を「料(はかる)」 魯山人の言葉
僕はさらに、「料理」に、「理想」を載せて、その日全ての皿をスペシャリテに仕上げた。
彼女はとても喜んでくれた
僕の中でひとつの答えが見つかった
「あなたは今、ニュージーランドに来てシェフとして何を感じているの?」
新たな問いに、ある程度誤魔化しつつ応えたものの、彼女はそんな僕の気持ちも分かっていて、つぎ会う時に答えを楽しみにしてるだろう。